ムラージュ館や、私財を擲って建築された押上簡易診療院
1925(大正14)年4月3日竣工の土肥記念館の絵葉書の絵である (図5)。
これは、土肥慶藏の在職25周年記念として弟子達から贈られた。皮膚科医局建物の南側に隣接して建てられ、延坪 40坪、2階建で金8,231円かかった。正式名称は「皮膚病蝋製標本陳列館」である。
土肥慶藏がウィーン大学でヘンニング教授より習得して帰国し、伊藤有に伝授した蝋製細工をムラージュ(Moulage)と呼び、皮膚疾患の天然色立体模型として学生の疾患理解に大変役立った。
伊藤有は皮膚科在職の20有余年の間に3,000個前後のムラージュを作製したとのことで、現在でも東京大学博物館に保管されている。カラー写真のなかった時代には、学生講義用として大変珍重された。
図6は伊藤有のムラージュで、男性の顔面を象っているが、実際に患者に石膏を塗って型を取ったということである。患者は大変な思いをしたことだろう。これは播種状粟粒性狼瘡で、結核菌の血行性播種による顔面皮疹であり、大変よくできている。
蝋製標本ムラージュはフランス・パリのバレッタ(Baretta)により手法が編み出された。後に、ウィーン大学のヘニング(Henning)によりウィーンにもたらされた。土肥慶藏はヘンニングに学び、これを伊藤有(竹馬の友で画家)に伝えた。
土肥慶藏は、1926(大正15)年6月28日に東京大学を定年退官した。満60歳であった。この秋、 長崎で有名な花月楼に遊び、漢詩をものした。これは、現在も東京大学皮膚科医局に掲げられている自筆の書である(図7)。
花月青楼夙有名 古庭瀟洒石泉清
伝聞鶴枕明皇物 応裏楊妃眼媚情
丙寅十月戯題 1926(大正15)年10月 鶚軒(土肥慶藏)
花月楼の庭には鶴枕明皇物があり、楊貴妃の媚態を想起させるという意味なのだろうか。
1928(昭和3)年7月17日、日本性病予防協会 押上簡易診療院が開院された。
これは土肥慶藏が私財を擲って建築した。すっきりした2階建てである(図8)。
図9は押上簡易診療院の膀胱鏡室である。検診台に手を掛けている白衣の医師は土肥慶藏である。この時、土肥慶藏62歳。膀胱洗浄用のイルリガートルや器械棚が見える。
官公私立聯合歳末診療事業として、毎年、年末に皮膚病、性病、泌尿器病の無料診療をしていたようで、その無料診療券である(図10)。
診療期間は12月19日から12月28日までで、午前9時から正午までと、午後5時から8時まで、とかなり遅くまで診療していたようである。場所は本所区横川橋2丁目7番地にあった。現在のスカイツリーのすぐ傍である。