当財団の歴史 (7/10) 当財団の功労者たち

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当財団の功労者たち

1930(昭和5)年4月、ホフマン教授夫妻が日本医学会総会に出席のため来朝した。

図11は土肥慶藏の鎌倉別荘前にて撮影したものである。 ホフマン教授は梅毒スピロヘータ発見者の一人であり、ドイツ人である。この後、鎌倉大仏と鶴ケ岡八幡宮を見物し、その時、土肥慶藏と市川篤二が同行した。市川篤二は16mmフィルムの映画を撮っており、その動画を90周年記念で皆さんに公開した。土肥慶藏も元気に歩いているが、この時、既に直腸癌の肝臓転移が進行していた。

写真は、左から高橋 明(東大泌尿器科教授)、土肥章司(金沢大学皮膚科教授)、ホフマン教授、土肥慶藏、ホフマン夫人、土肥健男(土肥慶藏長男、養子である)、遠山郁三(東大皮膚科教授)。

(図11) ホフマン教授夫妻との集合写真
(図11) ホフマン教授夫妻との集合写真

古宇田傚太郎(図12)は当財団にとって、土肥慶藏に次ぐ恩人である。

彼は1908(明治41)年12月 東京大学医学部を卒業し、1908~1911(明治41~44)年まで伝染病研究所の北里柴三郎の許で血清学を学んだ。1911(明治44)年9月 、東大皮膚科に入局し、1914(大正3)年 銀座木挽町6-2 で開業。木挽町で開業しつつ、日本性病予防協会の梅毒反応などの血清検査を行った。
1958(昭和33)年6月17日、古宇田傚太郎 死去。

しかし、彼には実子がなく、木挽町の土地および屋敷を日本性病予防協会に寄付した。故に、古宇田傚太郎は、当財団にとって土肥慶藏に次ぐ第二の功労者である。

(図12)第2の功労者 古宇田傚太郎
(図12)
第2の功労者 古宇田傚太郎

遺贈を受けた高橋 明(図13)は、文京区本郷3-14-10 に96坪の土地を購入し、1965(昭和40)年3月に泰生ビルを竣工させ、それまで東京大学医学部泌尿器科学教室に間借りしていた日本性病予防協会を一人立ちさせた。

地下1階、地上5階建ての鉄筋コンクリート造りなので、多数の団体に部屋を貸すことができ、この賃貸料で財団の運営は以前とは比べ物にならない位、ゆったりと運営できるようになった。

ここには日本泌尿器科学会、日本皮膚科学会の事務局も入った。

(図13)第3の功労者 第3代会頭 高橋 明
(図13)
第3の功労者 第3代会頭 高橋 明
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